首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

空手の型をやっていて思うこと

ナイハンチ(30)

ここまでの3回に渡って、
・首里手は日本古来の柔術の身体操作をベースとしたもの(首里手・泊手、那覇手の由来)
・ナイハンチの原型に近いのは武村のナイハンチ(ナイハンチ(29))
・ナイハンチの成立年は首里手古流の型成立期1700〜1760年頃ではないか(同)
との説を記載した。
では、ナイハンチを構成する動作は柔術起源説を前提とするとどうなるだろうか。

それを前提にAIで調べると、ナイハンチの横移動は「組んだ状態での横方向の崩し・入り身・体重移動」を鍛えるためのもの= 柔術的な近接戦の基礎型。ナイハンチは本来、相手と密着した状態(組手・抱合・掴み合い)での戦術型であり、柔術のように 近接戦での崩し・当身・入り身 が中心、とのことであった。

戦 術            ナイハンチで鍛える内容
横方向の崩し        相手の重心を左右に奪う
斜め入り身         相手の軸を外す
掴み・引き         手(ティー)の仕事
当身              体幹主導の打撃
近接戦           組んだ状態での戦術
重心移動          体幹の締めと緩め

 柔術のように組み合った状態を前提に左右に動いて相手を崩す・・、“へぇ~”ですね。
また、原型により近いのではないかと書いた武村系ナイハンチの本来の分解は「柔術的近接戦術の体系」を前提にすると、

動 作         古流の意味
下段払い        足払い・膝崩し
鉤突き         頭部への当身
横移動         横崩し・横捌き
膝上げ         膝当て・足絡め
受け代え        掴み替え・肘折り
諸手突き        押し倒し当身
猿臂             頸部折りの肘打ち

ということである。筆者が一番“へぇ~”と思ったのは下段払い。上体を屈めるのは何だろうと思っていましたが、“あれは相手の足払い・膝崩しなんだ~”って感じです。確かにそう考えると上体を屈めるのは相手の足首辺りを狙って取りに行く、或いは膝を掬い上げる、ということで理解できる。

 ちなみに、ナイハンチからの発展型説を前提にしたときに抜塞や公相君はどうなるかと言うと以下の結果でした。

型              役 割                      構 造
ナイハンチ    首里手の身体操作の源流         横方向の崩し・入り身
抜塞         ナイハンチの縦方向への展開     前方戦術・入り身
公相君      抜塞の高度発展                斜め入り・方向転換

 

ナイハンチ(29)

 本部系と船越系に伝わる、遡ると松村宗昆伝承のナイハンチと、岸本手に伝わる松村宗昆の兄弟弟子と言われる武士武村のナイハンチのどちらが原型に近いのだろうか。

 武士武村と松村宗昆は「首里手古流の同門」であった可能性が高いということで、AIにどちらが原型に近いのか問い合わせると以下となった(AIは間違いが多いのでそういう目でご覧下さい)。

系統  ナイハンチの特徴                      原型性
武村系 古流の身体操作が濃い。原型?         ⭐最も高い
松村系 整理された古流型。原型の整理版?          中
泊手系 首里手系からの左右反転型。       中
糸洲系 教育型に改変                         低

 以前、ナイハンチを縦に演武すると抜塞のような印象を受けることを記載したことがある(ナイハンチ(2))。それ以来、抜塞ってナイハンチの発展型では無かろうかと思っている。また、今野敏さんも言っているように、公相君と抜塞は共通の技も多く、公相君は抜塞の更なる発展型と見ることもできる。先に記載したように、公相君の成立は1762年の大島筆記以前である。上記前提では、抜塞はその前、ナイハンチの成立は更にそれ以前となる。

 ナイハンチの成立期を考えると、 

 ・大島筆記(1762)で首里手の型体系の存在が確定
 ・阿嘉親雲上直識遺言書(1778)で武術体系の存在が確定
 ・ナイハンチが複数系統(松村系、武村系、泊系等)に広く存在(古い型の特徴)

より、首里手古流の型成立期1700〜1760年頃の可能性が高い。

 では、誰が?というと前回の公相君同様、やはり北谷屋良3世か4世辺りか、或いは更に年代を遡って初代・2代の可能性も・・。

 因みに泊手のナイハンチは左右逆転しているが、舞方起源説を前提に考えると、舞方は舞台舞踊ではなく場で踊られる武的舞踊であり、基本の所作を持ちながら場の状況に応じて即興的に変化し、観客の位置や儀礼の都合で左右反転することもあり得るということなので、状況に応じて右始まりになったり左始まりになったりして、左始まりも定着していったって感じでしょうか。ナイハンチって横一線で、正面から見ると左右に広がって動くので、舞にして見るのも良いのかも知れませんね。

 なお、以前、一心流のナイハンチを紹介したことがあるが、一心流は島袋龍夫氏が宮城長順氏に師事し、その紹介で喜屋武朝徳氏等にも師事。その後1956年に興した防具空手の普及を目指した流派ということである。
 よって原型からは遠いと考えられ、一気に興味を失ってしまった・・。

 ちなみに、海外からの動画のようであるが、一心流のナイハンチの分解動画(↓)。

https://www.youtube.com/watch?v=MnGW19kjJCE&t=16s

 クリックを避けたければ”Issin-ryu karate:naihanchi kata & Bunkai"で検索すれば出てくると思います。”Michael Calandra”さんの25’41”の動画です。
 これを見ると、型は原型から遠いかも知れないが、分解に古流の技を強く意識した”ハイブリッド型”って感じでしょうか。ナイハンチの解釈を考える上ではとても参考になります。

詐欺にご注意

過去のブログを見ていたら、こういうリンク(↓)が表示されていて

    

だいたい想像はしつつも、ブログの文章の途中に表示されていたもんで、止せば良いのに好奇心で押下した。
案の定、けたたましいアラーム音とともに何か処置が必要だからこちらへ連絡をとの音声と表示。よくある詐欺リンクに誘導されてしまった。

当会は上記リンクとは全く関係ありませんのでご注意下さい。
怪しいリンクは決してクリックしないで下さい。

クリックして上記状況になってしまった際は慌てず、煩いからまずボリュームを落とし(筆者の場合、外部スピーカに接続しているので、そのボリュームダウン)、筆者の場合、作業中のファイルを諦め、電源遮断、または再起動します。今回は作業中のものはなく、影響無し。


全画面表示等で電源ボタンが表示されない場合には、CNTL+ALT+DELキーを押して、表示される画面の電源ボタンから処理しましょう。それも困難な場合、電源が落ちるまで電源ボタンを長秒時押下。

はてなブログ側で何か対処できないものですかねぇ~。

首里手・泊手、那覇手の由来(2)

 空手の自主トレを初めてから、自分がやっていることの“そもそも”を知りたくなって、いろいろな型や空手伝承の地、空手史、琉球新報の“沖縄の武技”等、調べてきた。前回、首里手・泊手、那覇手の由来を技術構造から整理したが、歴史年代の整合性はどうか、ふと気になった。ティーの成立時期を考えるために、柔術・組討・中国拳法・冊封使・日本文化の影響などを年代順に検証してみた(前回に続き、殆ど以前書いた内容で、自分の頭の整理のための主観です)。

 

 京阿波根実基がティーの使い手だったという説があるので、1523年には琉球王国にティーが既に存在していたことになる。一方、琉球王国で取手(柔術)が流行ったのは記録上1600年前後のようである。すると、ここで疑問が生じる。柔術はいつ成立し、薩摩侵攻前(〜1609年)の日本と琉球王国の関係はどの程度あったのか?

 調べると、“柔術”として体系化された(組討ち・捕り手が武術体型として整った)のは戦国時代、1400年代~1600年頃である。これは上記ティーの存在時期と矛盾しない。しかし、琉球王国の歴史を考えると、

・中国では520年に達磨大使が上陸し、後に少林拳が成立
・三山抗争の1372年から冊封使が慣習化(2回目は1404年)
となるので、柔術の体系化が1400年代以降であれば、中国拳法が琉球に伝わった時期より柔術が伝わった時期の方が遅い可能性があることになる。

 さらに調べると、垂仁天皇7年(西暦年不明:紀元前90~192年のばらつきあり)の野見宿禰・当麻蹴速の試合が角力の起源であり(古事記や日本書記の記載)、“柔術”の素となった組討・捕手の起源は角力と言われている。これは柔術や空手等、徒手空拳の起源として多くの書物でも指摘されている。
 よって、この頃には徒手空拳の組討ち術が日本国内に存在していた(奈良時代頃には世界各地にもあったらしい)。

 つまり、1372年に冊封使が慣習化した時点で、日本には徒手空拳の組討ち術が既に存在していた。このため、「柔術の素となった組討・捕手技が琉球王国に伝わってティーとなった」ということは年代的に矛盾しない。

 以前書いたように、ティーの成り立ちが首里・泊、那覇の極狭い地域でのものであれば、その成立は三山抗争終了後(1429年~)と考えられる。すると年代的には
・中国拳法起源説
・日本の柔術起源説
のどちらも成立し得る。
 当時、琉球王国は独立国であり、中国とは冊封関係にあったが、日本との文化交流も存在した。第二尚氏時代、1500年代初頭から編纂されたおもろ草紙は主にひらがなで書かれていることから、この時期の琉球王国は日本文化の影響を強く受けていたと考えられる。

 以上から、首里手の起源はやはり、柔術のような徒手空拳の組討ち術であったと考えるに至った。但し、柔術には現代の空手のような型は存在しない。組討ち術は相手がいなければ練習にならないため、型が発達しなかったのは当然である。以前書いたように、空手の棒術は使い方が異なるので中国拳法の棍術ではなく、日本伝来と考えられるが、日本の棒術にも空手の棒術のような「型」は存在しないようである(組手練習の型はある)。

 すると何故、琉球王国の士族は、ティーや棒術の型を創作する必要があったのだろうか。
 日本本土の柔術・棒術には、琉球王国でやられていたような型は存在しないが、型はなくてもそれらの技は現代まで伝承されている。むしろ、技の伝承には組手が必須であり、型だけでは伝承できないので、武術伝承目的では型創作の必然性・動機が無い。では、なぜか・・?

 “沖縄の武技”における安里安恒氏の見解(元々は舞方から・・)と、士族の宴席・儀礼・祝宴 で舞方が行われていたであろうことから考えると、琉球士族が演芸(武的舞踊)・舞方として創作し、士族の嗜みとして伝承、那覇手の型(中国拳法の套路)の影響を受けて楽曲のない型となり、別途対人稽古をやることを前提にティーの技の形を残すための手段としての有効性、身体操作の練習法・体育としての有効性も認められて体系化された、と言ったところだろうか。

 ちなみに前回、ワンシュウや公相君は琉球士族の創作で、名前だけ借りたモノとの説を記載した。そうすると、ワンシュウ来琉が1683年、公相君来琉が1756年であり、1762年の大島筆記において琉球士族の手に公相君という名の型があるとの記述があることから、公相君は1756年~1762年の間に創作されたものということになる。もちろん、それ以前に創作され、1756年~に名付けられた可能性もあるし、「公相君」という名詞は人名ではなく、「高官殿」「宰相殿」に相当する尊称で、唐代から使われていた一般名詞らしいので、1756年以前に既に存在し、1756年に来琉した高官をその型とは関係無く、公相君と称した可能性もある(つまり、1756年は関係無し)。

 では誰が? その頃の空手史上の人物を見ると、佐久川寛賀氏は1782-1838年なので公相君創作に関わった可能性はなく、1600年頃~存在した北谷屋良氏くらいだろうか。1740-1812年の北谷屋良利導氏が第5代ということなので、1756年頃であれば年代的には北谷屋良第4代と言ったところか。それ以前であれば初代が1600年頃~なので、~第3代の可能性もある。
 1778年の阿嘉親雲上直識遺言書に「からむとう」の記述があるが、この人物は武術体型の整備者であって、型の創作者ではなさそうである。

 

 ちなみに、史料・年代・技術構造から導かれる“学術的推定”として首里手古流の成立期=1700〜1760年頃ということが研究者に支持されているらしい。首里手成立には、北谷屋良一族がかなり関係していそうですね。

 なお、首里手古流の成立期=1700〜1760年頃というのは型体系の成立期を指すものであり、 武術文化としての首里手の成立期ではないでしょうね。京阿波根実基がティーの使い手だったという説があるので、1523年には琉球王国にティーが既に存在していたはずだから。

 

琉球史(簡易版)

 

首里手・泊手、那覇手の由来

 以下、これまでの投稿とかなり重複するところもありますが、筆者の頭の整理。但し、筆者の主観がかなり入っているのでご容赦。

 

 旧琉球王国時代のティー(手)は、便宜的に首里手・泊手・那覇手の三系統に分類されていたとされる。近年、中国拳法の套路を調査した研究者の報告によれば、那覇手の型名(サンチン、セーサン、パイポ、クルルンファ)は、中国拳法の套路名と一致するものが多く、呼吸法・歩法・技術思想にも共通点が多い。ただし、套路の構成が完全に一致するわけではなく、沖縄側で再構成された「沖縄版」と考えた方が良さそうに思われる。

 一方、首里手の型は中国に原型が存在しない。  
 ナイハンチ、抜塞(パッサイ)、公相君(クーサンクー)など、名称が中国語に似ている例はあるものの、同名・同構造の套路は中国側に確認されていない(部分的に似た動作はある)。沖縄1000年史には、1600年頃に首里士族の間で柔術が流行したと記されている。また、古い日本柔術の映像には、突き・蹴り・手刀・受け・崩し・体捌きが普通に含まれており、これらは首里手の特徴(入り身・崩し・当身)と多くの共通点を持つ。
 つまり、首里手は柔術的な身体操作を基盤とし、中国拳法の影響を受けつつ、首里士族が独自に型を創作・体系化した士族武術であったと考えるのが最も合理的である。

 泊手は首里手に近いとされるが、これは地理的・社会的背景から説明できる。泊港は首里城の外港であり、首里城 → 安里 → 真嘉比 → 那覇 → 泊港という経路で、中国(明・清)使節の出入りは泊港が中心であった。泊周辺には「泊按司」「泊親方」など士族屋敷が多数存在したため、泊手は「泊に居住した首里士族が伝えた首里手の支流」と考えられる。

 なお、空手名称は手→唐手→空手と変遷してきた説があるが、「唐手(トーディ)」は沖縄において中国拳法を指す語であり、沖縄に伝わった中国拳法が那覇手になったことから、本来は那覇手を指す名称として用いられたのではなかろうか。船越義珍翁の著書では、唐手という語を首里手・泊手を含む沖縄武術全般の広義の意味で用いているが、首里手・泊手は柔術系の士族武術であるため、本来「唐手」に含めて考えるべきではないのではないと考えている(これは筆者の勝手な思い込みです)。

系統

身分

起源

技術構造

型の由来

首里手

士族

日本柔術+中国拳法の影響

入り身・崩し・当身・体捌き

士族が創作

泊手

士族(泊居住)

首里手の支流

首里手とほぼ同じ

首里士族が伝承

那覇手

町人(商人)

中国拳法(福建)

三戦・十三・白鶴拳の歩法

中国套路の沖縄版

 

 因みに、公相君(クーサンクー)や汪楫(ワンシュウ)等は来琉記録があるが、中国拳法に対応する套路が存在しないため、これらの型は琉球士族が創作したものであり、人物名だけを型名として借りたものと考えるのが自然である。中国拳法の套路と空手の型を横並びにした動画も見たことがあるが、似た動作部分を切り取っただけだと考える。

欠伝型―チンシュウ(チンス)(4)

 チンスと言う型の名前は、たしか10年以上前に、チントウ・チンテ・チンスは元々3つセットの型との説をネット記事(個人ブログ)で見かけ、さらにネット検索したら、チントウ、チンテと縦並びで“チンス”と記載され、“欠伝(または失伝)”と書かれているのを空手の型一覧の記事(表)で見たことがある。だから散々探して“Sakugawa Family”の“Chinsu Kata”という名称の動画に行き着いたのである(※)。

 最近気付いたのだけど、当時見た説の記事と空手の型一覧の記事は見つからない。新○氏の無○会のブログでもある時期からチンスの存在を否定しており(以前は肯定していた)、ちょっと気になったので調べてみた(Copilotで)。

 

・Chinsu(チンス)は、珍手とは異なる古い手(ティー)として実在していた。

・YoutubeのSakugawa FamilyのChinsu Kataは、その実演型。

・口伝による伝承の中で体系化されず、後継者が継承しなかったため失伝した。

・後世の研究者は「珍手の誤称」と整理したため、名称も動作も完全に歴史から消えた。

 

とのこと(総てAIによる推測です(事実ではない可能性もあります))。

 

 ちなみに10年前の空手型一覧の記事が抹消されたのは、「チンスは珍手の誤称」という誤った整理が広まり、正式な型名ではないと判断されて削除されたのではないか、との推測でした。

 

※欠伝型-チンシュウ(チンス)/Lost Kata - Chinsu - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

 

合氣道(2)

 何度か通いました(現時点4回)。3ヵ月毎の申込みなので途中申込みの今回は6月末までで、都合によりあと1回。7月以降もしばらく続けようかなぁ、カルチャーセンターとは言え高過ぎだよなぁ、ただ場所と時間が自分には抜群に良いのだよなぁ、と悩みつつ。これまでの状況は以下の通り。

 心身統一の四大原則というのがあって(ネット検索すればすぐ出てくると思います)、それは“一切力まず、下丹田に意識を集中せよ”と単に言っているだけの印象なので特に違和感はない。

 もう一つ、合氣道の五原則というのがあって(同上)、これは相手に合わせよ、と言っている印象。B型気質で仲良し(※)が苦手な小生には恐らく今後難しくなってくるだろう。

 これまで教えて頂いたのは主に一人技とOneness Rhythm体操、等。これらは一切力まず、下丹田に意識を集中し、安定した状態を維持したまま動けるようにすることを目的とした稽古だろうと思っている。また、これらの動作がそのまま合氣道の投げ技(と称して良いのかまだわかりませんが)になるということも実演して見せて頂いている。まだ触りだけなのでちょっと今はまだやめられないだろう・・、って感じ。

 あと一つ。姿勢について頻繁に“ちょっと後傾している”と注意されている。立ち姿勢・座位姿勢にはそれなりに自信があったので「んな、馬鹿な」とは思ったが、ちょっと胸なり背中なりを極軽く押されるとバランスを崩してグラつく。現役の頃からは考え難いことで、長年一人でやっているので(他人に見て貰うことがなかったので)、いつの間にか居着いて(または浮き身になって)いるのに気付いていなかった模様。それに気付かせて貰っただけでも有り難い。そういや、誰ツヨのナイハンチセミナーでも立ち姿勢の重心位置をかなり前方に直されたんですが・・・直ってない・・・(※)。

 

 後日の稽古の際、指導員の方から、首(頭)が前に出ている&上体が後傾していると注意された。

 それが気になって自主トレ時に意識してみたらどうも、所謂スマホ首のような・・。それで気を抜くと首が前に出て、それによって重心位置がずれるからバランスを取るために上体が後傾するようである。意識して首をまっすぐ伸ばす(上げる)ようにすると上体も戻ってくる。

 当面、稽古中は氣を抜かないようにすることと、普段から姿勢に気を付けてスマホ首を治そうとは思うモノの、老眼だし、PCでの仕事中は・・・。

 

※ 仲良し/A friend - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

  ナイハンチセミナーに行ってきました - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans