首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

空手の型をやっていて思うこと

古伝の型-観空と燕飛の解釈

 再びyoutubeであるが、空手の原型・“そもそも”を知りたい筆者は、「1950年代の空手はまさに完成していた」のタイトルに惹かれ、下記動画を見た。

 

    www.youtube.com

 

 この解説者は空手家ではなく、どうも柔道の解説本を出版されている人のようである。

 いろいろ、興味を惹かれるところはあったが、特に気になった点を2つ。

 

1.背負い落とし(4‘30“頃~)

 これは以前、観空の上段左手回し受け→右手手刀打→(蹴り)→振り返って左手下段払い→右手下段手刀の部分について、相手の攻撃を躱しつつ体を崩す動作と解釈できると記載したことがある。

 絵では説明し辛かったが当時の筆者の解釈はこれに近い。

 

古伝の型―観空・公相君(大) (2)/Traditional Kata - Kanku / Kushanku(Dai) (2) - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

 

2.肩車(5’07“頃~)

 燕飛の最後の動作で、中下段開掌受けの連続動作の後、身を退いて下段払い、寄り足で上下段を掴みに行って跳び上がりながら振り返る動作がある。その部分は、大学空手部では相手を頭上に持ち上げて跳び上がりながら・回転しながら投げるんだ、というのが型のカタチ・順番を教えるための説明だった。体力有り余る若い頃でも“そんな馬鹿な事ができるかぁ!”って思っていた(もちろん、言ってはいない)。確か、今野敏さんもDVDで、そんなことは危なくて仕様が無いから組手練習はしないけどね、と仰っていたので、一般的にそういう解説がされているようである。

 一人で自主トレやるときには、左手で上段、右手で下段を掴みに行った次はその場で振り返りながら左手下段(相手の頭を引き込みながら落とすイメージ)、右手上段に上げて(相手の足を上げるイメージ:平安、観空、十手、慈恩等に出てくる前方下段、後方上段構えのカタチ)、相手を転がしてから、跳び上がって相手を飛び超えるか、着地の際に相手を蹴込むイメージで練習している。その相手を転がす動作の上下段構えのときのイメージが正にこれである。この動画を見る限りでは、この場合は跳び上がる必要性はない、というか、跳び上がっては駄目ですね。とても不利な状況になり兼ねないという意味で、危ない。

 

 

 あと、動画の中では斜上蹴りの映像が多く、斜上蹴りって現代は玄制流位でしか基本動作として教えていないと思うけど、昔は普通に稽古してたんだな、と思いました。

古伝の型―五十四歩の解釈(3)

 先日、何となく動画を見ていたら、金城裕さんの五十四歩の分解解説動画を見つけた。

 

         www.youtube.com

 

 上記youtube動画の中で、抜き手の連続動作の最初の一手目は相手の上段攻撃を跳ね上げる動作との解説があった(2‘30“頃~)。

 小生が覚えた五十四歩は今野敏さんのDVDベースなので、型の構成が金城裕さんのものとは異なる。

古伝の型-五十四歩/Traditional Kata - Gojushiho(54 Steps) - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

 抜き手の連続動作は今野敏さんの型にもあり、DVDのなかで中国拳法の両手での連続突動作の抜き手版との解説はあったが、一手目で特に跳ね上げるような解説・動作はされていなかったし、他の人の同じ構成の型を見ても一手目で跳ね上げるような動作はしていない。

 それで気になって今野敏さんベースの五十四歩で、抜き手連続動作の一手目を跳ね上げ動作にしてみた。ちょっと意識して動く必要があるが、やろうと思えば型の動作として取り込めそうである。

 あまり意識しなくてもやろうと思えばできる程度まで、暫く練習を続けてみよう。

 

ナイハンチ(27)- 一歩目

 以前、ナイハンチの一歩目の解釈として使えそうな動画を見かけたことを記載したことがある。

 ナイハンチ(26) - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

 

 当時の動画は見つかっていないが、たまたま同じような使い方をしているのを見かけたのでご参考。

 Aikido skills mma ufc masterkick - 検索 動画

 

 動画タイトルからすると合気道から来ている使い方のようですね。

 以前見たものは、道場で二人組の一方が淡々と一歩踏み込んで相手を倒すだけのものだったので見ていて面白みがなく(本来、稽古ってそういうものですが・・)スルーしたのですが、こういうのを見るとより、“使えそうだな”と思います。

ナイハンチなら、背手は牽制として相手をあえて倒さず、猿臂を入れて次の動作につなぐか・・。

 

雑談―月刊 秘伝

 先日、本部流のブログを見ていたら、月刊 秘伝に「沖縄空手史探求」という不定期連載があり、空手史に興味ある方は一読をお勧めする、と紹介されていたので早速、仕事帰りに東京駅丸善に寄って買って帰った(24年11月号)。

 そこでは、1927年にホノルル、1951年にサンパウロで行われた演武会が6ページに渡って紹介されており、1951年の演武会の動画へアクセスできるQRコードも掲載されていた。その動画は多分、過去にYouTubeで見たことがあると思う(*)。1951年というと各流派が乱立され、競技化が進んだ後なので、その動作は琉球王国本来の手とは異なるのだろうな、と思いつつ。

 気になったのは、ナイハンチで猿臂の後の振り返っての下段払いが側面(猿臂した側の反対面)ではなく正面に行われていること。下段払いではなく、正面に対する下段突きかな、と言う気がした。或いは猿臂した相手の頭を押さえつける動作か。ナイハンチに続けて数秒づつであるが、多分、五十四歩と公相君の一部も有り。

 1927年の方は未だ空手界は各流派設立前、富名腰義珍先生が皇太子殿下の前で演武されたのが1921年なので、まだ競技化もそれ程進んでいなかった頃と思われ、そちらの方が興味を惹かれる。ただ、掲載されていた写真を見る限りは既にこの頃には歩幅を大きく、腰を低くしていたようですが・・。型は足腰鍛錬を目的に競技化される前、琉球王国時代の元から歩幅を大きく、腰を低くしていたのかも・・。

 海外への空手普及は沖縄の米国統治時代に進んでいったのかなと漠然と思っていましたが、それより遙か前に普及を志して活動されていたことに今更ですが驚きました。いろいろな記事・記録をキチンと見ていれば判ることですが、先入観を持つと駄目ですね。

 

(*) Youtubeをパラパラ眺めていたらたまたま見つけたけど、URLやリンクの貼り付けは見合わせる。タイトルは、「Apresentação Karate - Ginásio Pacaembu 1951 - Sensei Motoku Yabiku」でした。

雑談-琉球秘伝・女踊りと武の神髄

 先日、東京丸善にて「琉球秘伝・女踊りの武の神髄」という本を見つけ、購入した(宮城隼夫著、海鳴社)。この前の投稿で、型に関して私見を述べたが、あれが頭にあったので何か参考になるだろうか、と思ったから。

 → 雑談-型 - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans


 内容は、女踊りの動作は唐手の動作と同等であり、唐手の達人は舞の達人でもある、と言うのが前半。舞の動作については知見がない小生には字面での解説と写真では残念ながら理解できず。我慢して読み進めたところ、かなり高度なことを言われているようだな、と気付いた。

 

 後半は共感する箇所も多かった。

 

 ・ 日本古来の柔術は刀や短刀で決着するので殴るよりも掴むことを重んじる。

   琉球では素手での攻撃で闘いを決着させるので、徒手空拳の一撃必殺が目標だった。

   → 元は柔術かも知れないが、使い方が異なるので独特の発達をしたということのようで、成程、と思いました。

 

 ・リラックスを徹底し、接した皮膚を想念で押すことで相手の皮膚感覚に作用する。

  → 多分、江上空手と同じ考え方のようです。大学空手部ではとにかく力を抜いて柔らかく。追い突き・下段払いの組手の際は、折角相手と接した関係をバチンと弾くのでは無く、その接した関係を切らずに大事にして相手の腰に向けて力を伝える・・等、ご指導戴いていました。

 

 ・相手の無意識層に働きかけ、相手の意識を無力化した後、技を掛ける。「先の先の技」

  → 唐手に先手無しって、これではなかろうか。空手をやる者は決して先に手出ししてはならぬ、との教えかと思っていたのだけど、相手の意識を無力化することで争いを避ける。そのためには先手では遅いんだよ、かと。

 

 等。

 これは合気道を経験するとともに琉球の舞方を相当観ないと(もしかしたらやらないと)この本のレベルには至らないかも・・。

雑談-型

 ベストキッド(映画)の2作目を見たことがあるだろうか? 当時、25歳頃(35年くらい前)にレンタルDVDで見たが、女優の「タムリン・トミタ」さん(多分)が沖縄で盆踊りに参加するシーンがあって、その踊り(動作)が“空手の動作そのまんまじゃん”と思ったことがある(ご本人が武術経験者かどうか、演出家が何か知見があったのかどうか、全く知りません)。最近(10年くらい前?)に知ったが、大正三年一月一七日の琉球新報 沖縄の武技(上)で安里安恒氏は、「田舎の舞方なるものが所謂唐手の未だ発達せざる時代のそのままであろう」と述べておられる。それで、舞方と唐手? と以前から気になっている。

 以前、棒術で記載したが、沖縄に伝わる棒術は、その使い方・動作から日本本土から伝わったものであり、中国の棍術では無い。

 棒術の伝承 - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

しかるに周氏、・・・、白樽等の型は琉球王国オリジナルのものである。日本本土の棒術では基本動作、或いは約束組手のための型は存在しても琉球王国に伝わるような型は無い(誤解があったらすみません)。従って、琉球王国で伝承された“型”は技の伝承の観点では必須のものではなさそうである。では何故、琉球王国で型が重視されたのか?

 最近、思っているのは冊封使(1372年~慣習化)の歓待に重宝されたのではなかろうか、と言うことである(筆者の勝手な思い込みなので鵜呑みにせぬようお願いします)。数年~数十年毎に中国(明国・清国)からの使者を迎え入れる。そしてその使者達は数ヶ月滞在するのである。その歓待には見世物が必要となるであろう。琉球王国としては明国・清国からの使者であり、最大限の敬意を持って歓待する必要があり、それを担う人物は琉球王国の士族でなければならない。そして、それを成し遂げれば当然、琉球王国で重用されることになる。中国では520年に達磨大師から易筋経・洗髄経が伝承され、11~13世紀頃には中国拳法として伝わったものの、清朝時代にそれらの套路は失伝し、1700年前後、拳法の百花繚乱状態だったそうである。その国の使者に琉球王国オリジナルの武の型を披露すれば、さぞや喜ばれたであろう。だから当時の士族は見世物としての舞方に武の型を考案して披露し、その舞方動作が伝承され、首里手泊手の型として残ったのではなかろうか。武の舞の存在は知っているが、以前は先に唐手の型があって、それを舞にしたものと思っていた。そもそもの発祥はその逆だったのではなかろうか、と。

 そうすると、型は技の伝承に必須と言うわけでは無さそうである。技を磨くにはやはり対人の組手稽古が必須だろうと思う。だから最近は“型はナイファンチだけで十分”と言う説も理解できる。ナイファンチを読み解ければ他の型もその応用で大概、読み解ける。誤解されたくないが、以前も書いたように体は動かさないと動かせなくなる。全身運動の空手の型は体育として間違い無く有効である(実感として)。想定した動きができるように体の運動機能を維持すること、動作に合わせた呼吸法等、一人で稽古できる型はとても優れものである。

横蹴り(2)

以前、蹴りについて

  • 回し蹴りは東南アジアの別の格闘技から導入した技らしい、
  • 横蹴りも筆者が股関節を痛めた経験から自然な動作とは思えず、元々空手の技ではないのではないか、

と記載したことがある(↓)。

 

 蹴り/Kick - 首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

(確かこの記事には「回し蹴りはカラリパヤットから」とのコメントを戴いていたと思うのだが(記憶が曖昧です)、先日見たら残念ながら消えていた。ご本人が消したのだろうか。小生の誤操作ではないと思うが・・・。)

 

 横蹴りについてはかなり前、「蹴り技を得意とした安里安恒氏の発明で、一人弟子の富名腰義珍氏が師匠の技伝承のために型に導入したのではないか」との説を見たことがある。幾ら蹴り技を得意としていたとは言え、江戸末期~明治の時代に何もないところから横蹴りを発明したとは考え難く、また、富名腰義珍氏の最初の著書である琉球拳法唐手術や錬膽護身唐手術では型の蹴りは全て前蹴りとなっており、実用性の面でもその説の真偽には疑問を持っていた。

 

 先日、何となく動画を眺めていたら、下記動画内で、横蹴りは富名腰義豪氏がサバットから空手に導入したものとの解説を見つけた(↓ 0:42頃~)。

 

 www.youtube.com

 

 義豪氏は歩幅を大きく、腰を低く、とにかく大きく動いて足腰を鍛錬し、少しでも迫力を出して見栄え良くしようとしていた(琉球王国本来の“ティー”から離れて競技化していった)ような印象があるので、“この説は有りそうだな”と思った。

 

 それでサバットについてサラッと調べてみたところ(@Wikipedia)、

・18世紀のパリの不良がストリートファイトで使っていたものを体系化したフランス式ボクシング。

・発祥年はブルボン朝時代(1589-1792年、1814-1830年

と言うことである。

 

 すると安里安恒氏は1828-1906年の方なので、当時琉球王国がフランスと直接交流を持っていたとは思えないが、中国(清国)経由か何かで安里氏が目にして富名腰義珍氏➤義豪氏へ伝わった可能性は有り得る。もちろん、義豪氏自身が別ルートから見い出し、取り入れた可能性もある。

 

 どちらにせよ(サバット説が正しいかどうかは別として)、やはり横蹴りも本来の空手(琉球王国時代の“ティー”)の技では無さそうである。