首里手愛好会/Society_of_shurite_fans

空手の型をやっていて思うこと

琉球新報ー沖縄の武技

コロナ禍の影響もあって関東に転勤となったこともあり、いつか国立国会図書館に行きたいと思っていた。まん防解除に伴い、2月中頃から規制が少し緩和されていたようなので、昨日行ってきた。

いくつか確認したいことがあったのだけど、ついでに琉球新報の1913年 “唐手は武芸の骨髄なり”、及び1914年 “沖縄の武技”のコピーを取ってきた。直前に1902年に富名腰義珍が“唐手の歴史”を掲載したとのネット記事を見かけたので、1902年の琉球新報も一通り見たが残念ながら見つけられなかった。マイクロフィルムでなかなか見難かったので見逃したのかも知れないが、さすがに再度見直す気にはならず。せめて何月何日に掲載されたのかが判れば良いのだが・・。1年間の新聞を流し見していて“日英同盟”“清国”“徴兵忌避者逮捕”等、時代を感じさせる文言が目についた。特に“肺病”“伝染病予防法大臣”“横浜ペスト発生”等の文言もあり、100年経って新型コロナか、と言う感じ。また、“山林課長自殺・・発狂による所為”と言った記事もあり、当時は自殺者=発狂と報われない時代だな、と思った次第。

 

以前、岸本祖孝先生の師匠である武士 武村は、鹿児島へ柔道の修行へ行った息子の方か、その父の方か判らないと書いたことがあると思うが、“沖縄の武技”には、父が唐手 佐久川の弟子と書かれていた。すると、岸本祖孝先生の師匠の武士 武村は松村宗昆の弟弟子と言うことなので、父の方のようである。

また、息子の方の住まいは桃原(現在では首里公園のやや北?)という場所だったようなので、泊地方に隠棲していたと言うのは一時的なものだったのかも知れない。“沖縄の武技”には有名な武人として、佐渡山親方の名前も載っていた。

 

なお、1913年の記事と1914年の記事に相違があることも気が付いた(下表)。

 

照霊流

林流

1913年記事

ワイシンザン

イワー

1914年記事

アソン

ワイシンザン

富名腰義珍著の「琉球拳法 唐手」では、ワイシンザンは照霊流(アソンは照霊流、イワーは照林流)と書かれている。再版された空手道教範ではそれぞれに照霊流・照林流の識別はされていないようである。

一方で、1914年の記事によれば福州安南からの漂着人からの伝承はチントー、チンテ、ジイン、ジッテと言うことなので、照霊流・照林流の型が混在している。

これらのことから元々照霊流・照林流の分類は沖縄で唐手を伝承するときに便宜的に分類したものなのかも知れない(何かにそのようなことが書かれていたような気もする)。やはり、何事も原文を読むべきですね。

ちなみに、国立国会図書館の利用者登録したことにより、本部朝基の「私の唐手術」の全文コピー・関西からの取り寄せを申請することもできた(現時点、未入手)。